blog index

山中問答

東京の青梅市よりローカルなブログ
<< 野草の代表?カタクリ | main | 花は赤と黄色 ミツマタ >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| スポンサードリンク | - | | - | - |
おとうさんは田中角栄「熱情」
本「熱情ー田中角栄をとりこにした芸者」著者 辻 和子 発行所 蟾崔娘辧,鯑匹燹
著者と田中角栄との関係は「おとうさんは二十九歳、わたしが二十歳のとき」(1947年)に二号になり、二男一女をもうけた神楽坂の芸者。
花柳界とそのなかで生きる人の考え方の一端を知ることができる。
著者の17〜8才の思い出として次のようなことが書かれている。
「昭和19年(1944年)から20年に入ると、米軍による空襲もいちだんと激しさを増し、神楽坂の火は完全に消えて、あちこちから火の手が上がるようになりました。そんな状況下でもときどきお座敷がかかります。
といっても、神楽坂の外、なにやら高い塀をめぐらした民間の大きなお屋敷での宴会でした。そうゆうところで酒盛りをしているのは、政治家、財閥関係の人、黒幕のような怪しげな人、それにあちはほとんどが軍部の人でした。時節がら、さすがに三味線も踊りもありません。明かりを暗くして、せいぜいお酌とお話の相手をする程度です。・・・・・・・・・・・・
軍の上層部にも懇意にしていただいた人が少なくありませんでしたが、とくに憲兵隊長さんにはよくしていただきました。来られるたびに、石鹸とか缶詰など、何かしらおみやげを持ってきてくださいました。
「困ったことがあったら、なんでも相談しなさい」
怖い役柄に似合わず気さくだ、とても親切な人でした。」
(この憲兵隊長だけが行っていたことではないでしょう怒り
そのほかに「この親切な隊長さんを訪ねて、市谷の大本営まで出かけていったことがあります」など、とんでもない憲兵隊長さんの話。
昭和40年(1965)に神楽坂に350坪以上の土地に家をつくってもらのだが、その土地は「国有地の払い下げを受けたということのようです」とか、香典の額にしても、「お父さんの場合、50万とか100万の単位になるのです」などと書かれている。
そして金脈問題で追及されていたころのことでは
「佐藤さんのことを書いたルポライターは、じつはそれ以前にわたしの周辺を執拗に探っていて、その記事がある女性週刊誌に掲載される寸前だったところを、事前に察知したお父さんが出版社と交渉して差し止めさせたといいます。
わたしはそんなことがあったとはまったく知りませんでしたが、ルポライターの方はわたしへの取材の過程で佐藤さんの存在に気づき、「淋しき越山会の女王」という記事になったということのようでした。」
とあり出版界のいい加減さもうかがうことができる。
この種の本では当たり前なのかもしれませんが多分この本も著者の話をライター(?)がまとめたのではと推測するのですが、読みやすく書かれている。
図書館で借りたのですが唖然反面教師として読むにはよい本です。
| rihaku | | 19:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
スポンサーサイト
| スポンサードリンク | - | 19:43 | - | - |
コメント
コメントする


この記事のトラックバックURL
http://rihaku.jugem.jp/trackback/75
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< May 2017 >>

bolg index このページの先頭へ