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山中問答

東京の青梅市よりローカルなブログ
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天下大将軍、地下女将軍(チャンスン)
埼玉県日高市の高麗神社に行く。以前来たときには将軍標(チャンスン)は木で造られていたが石になっている。
高麗神社は奈良時代からの社で朝鮮の高句麗に関係があり、高句麗国からの渡来人、高麗王若光(こまのこきしじゃっこう。「王」は他に「こしき」「こにしき」「こにきし」などとも読むそうです。)を祀った社。高麗神社といわれているが本殿の扁額には高句麗神社と句の字が遠慮がちに入っている。日本人を憚って高麗神社としたのだろうか。
高麗神社から200メートルぐらい離れて高麗山聖天院勝楽寺がある。高麗神社と関係があり聖天院は高麗王若光などの菩提寺として創建されたとのことです。
蝋梅の花の季節は長いようだ、聖天院の歩道の脇でよく咲いていた。
[注] 将軍標(チャンスン)は朝鮮半島の古い風習で、村の入り口に魔除けのために建てられた。
高句麗神社の扁額
   高麗神社本殿の扁額
高麗神社
   高麗神社の将軍標(チャンスン)
聖天院の蝋梅
   高麗山聖天院の蝋梅
| rihaku | | 20:41 | comments(2) | trackbacks(0) |
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コメント
別に日本人を憚ったわけではありません。
「高句麗」は五世紀「高麗」に改名したのでそれ以降は高麗が正しかったのです。
朝鮮半島に同名の高麗という国ができて紛らわしくなったので、後世では旧名の高句麗の名を使うようになりました。
「句」の字を加えたのは朝鮮半島の高麗ではなく満州の高句麗の方だということを明示するためでしょう。
| むらさぎ | 2009/08/10 3:03 PM |
むらさきさん
「高句麗」に関してのご指摘ありがとうございます。
4〜5世紀の高句麗、百済、新羅に関しての本を読んでみたいと思います。
| rihaku | 2009/08/10 8:24 PM |
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